閉鎖された鉱山跡に行ってみました
福知山市の夜久野鉱山(露天掘り?)に行ってみました。山がえぐれているところは鉱山跡だと聞いていたので、車で走りながら、いつもちらっとえぐれた跡を見ていつか行ってみようと思っていたからです。
このあたりから入るんだろうと見当をつけて車で道路を登って行くと、神社があったのでちょっと立ち寄りました。
赤い鳥居の奥に小さな祠がありました。
下の古木・矢印は2本の木が古木とくっついて一本のようになっていました。境内の少し下方にもお堂がありました。
鉱山の入り口です。「立ち入り注意」ということは注意すれば入ってもいいんだと思ってチェーンを外して中に入りましたが、車はここに置おいておくことにしました。16時過ぎてから登ってくる人などいないだろうと思ったのです。
道路は広かったです。少し上ると堰堤がありその手前にコンクリートのタンクがありました。矢印のところはタンクからパイプを通って水が出ていていました。
タンクの中から水琴窟のようなきれいな水音がしていました。
道路を歩くより水路のそばを歩いたほうが近道だと思って歩くと円形の雨水でできたらしい窪みがありました。左の黄色の矢印の部分から雨水が入りぐるぐる回って下向きの矢印のところから下に流れたようです。海のホットポールの山版でしょうか。
山道にしては案外広い道路でした。かっては鉱石を積んだトラックが行きかっていたのでしょう。歩くと結構な道のりです。
時折野鳥が鳴く鬱蒼とした山道、でもこの季節は熊は冬眠中だと思って大丈夫・・・・怖くない・・・・・と自分に言い聞かせて登って行きました。
ちらっと構造物が見えたのであそこだと思って登りました。選鉱場?コンクリートの構造物は何も言わず、ただ立っているだけです。
事務所らしき建物がありました。行ってみると入り口の戸は壊れていて、落ちかけた床板に椅子があり茶碗などが散乱しており、冷蔵庫もありました。
机の上には印刷物や電話機、ヘルメットも無造作に置いてありました。何も片づけずに放っておいたのでしょうか事務所を閉鎖するときは一応片づけておくものだ思ったのですが・・・・・
前日まで普通に仕事をして翌日、急に閉山と決まったような感じです。
1989年のカレンダーが残されていました。(画像はピンボケになっていて残念)
このあたりに白っぽい石がたくさん落ちていました。もしかしてこれらは鉱石の一部ではないかと思われました。
夜久野鉱山を検索してみると、ろうせき鉱山だったそうです。白亜紀後期ないし古第三期の流紋岩および流紋岩室凝灰岩が熱変性を被り、珪化帯が発達してろう石鉱床がある・・・・などその他いくつかの文献がありました。
この鉱山でいうろう石とはもしかして違うかもしれませんが、ろう石という石は私が子供のころは文具店やおもちゃ屋さんでも売られていたように記憶しています。幅は1~2㎝、長さは6~7cmの柱状の石で、堅い平坦な石に絵や文字を書いて遊んだ記憶があり、それをろう石と呼んでいました。でも私がここで見た白い石はとても堅そうだったのでもしかしたら違うのかも・・・・・・
白っぽい石ばかりいくつか拾って持ち帰りました。
山肌が削り取られたところまで行ってみたかったのですが、長時間家を空けていられない状態で出てきているので、早く家に帰りたかったのと、暗くなりそうで、もしも獣が出てきたら怖いと思って、山を下りることにしました。
「立ち入り注意」のチェーンをかけて車に乗ろうとしたとき、谷の向こうの山を夕日が赤く山を照らしていてきれいだったのでパチリ・・・・
急いで山を下りました。山肌を削ったところまで行けなかったのがちょっと心残りです。
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